民主主義の多様性を守るために
本日のテーマは、国会議員および市議会議員の「定数削減」についてです。私はこの流れに対し、明確に反対の立場をとっています。なぜなら、議員定数を減らすことは、単に「身を切る改革」ではなく、民主主義の根幹である“多様な意見を議会に届ける仕組み”を削ぐものだからです。
ここ数年、定数削減は「税金の無駄をなくす」「議員が身を切るべきだ」というスローガンとともに語られてきました。しかし実際に定数を減らすと、少数派や社会的支援が必要な人々の声が届かなくなる現実があります。たとえば鹿嶋市議会でも、以前「女性の貧困問題」を取り上げていた議員が落選して以降、このテーマを議論する議員は途絶えました。同様に、知的障害をもつ家庭の課題や、関連法制を追う議員もいません。
「残った議員が頑張れば良い」との意見もありますが、議員にも得意不得意があり、分野ごとに知識の偏りがあります。議員数が減れば、当然カバーしきれない領域が生じ、市民の声の一部が届かなくなってしまうのです。
「報酬削減」で対応するという考え方
もちろん、鹿嶋市も人口減少が続き、将来的には議会の規模の見直しは避けられません。2040年には約58,000人、2050年には54,000人台になると推計されています。
しかし私は、まずは報酬の調整によって対応すべきと考えます。
鹿嶋市議会の報酬は旧鹿島町時代からほぼ変わっておらず、私が初当選した2011年以降も据え置かれたままです。物価や最低賃金が上がる中、実質的には報酬の価値は下がっており、これ以上「報酬が高すぎる」とは言い難い状況です。
議員は市長や知事と異なり、兼業が可能です。私自身、行政書士としての仕事を続けながら議会活動を行っています。初当選~市長選挙力行するまでは、前職の職場で月に20日、1日3時間ほど勤務し、約60時間を働いていました。ほかの議員も、地域で事業を営む人、なんらかの職業を持っている方が鹿嶋市議会には多いです。
そのため「議員報酬だけで生活できる水準が必要」として定数削減を主張するのは、現実的ではありません。むしろ、議員定数を減らすことで議会の質や多様性が失われるリスクの方が大きいと感じます。
「身を切る改革」の本質とは
もし「議員が身を切る覚悟を示す」ことが必要なら、私は定数削減よりも報酬削減を優先すべきだと思います。報酬を下げることで、議会が市民と同じ感覚で行政を監視し、信頼を得る道が開けます。
また、将来人口が減少した際には、その時代に選ばれた議員が定数や報酬のあり方を議論すべきです。今の世代が「将来減るから今のうちに削ろう」と決めるのは、未来の市民や議員の判断を奪う行為です。社会状況が変われば、必要な議員数も変わります。だからこそ、将来の判断は将来の住民に委ねるべきです。(私は、報酬削減派ではなく、より高い報酬は、より質の高い議員の成り手が増えるので、報酬は高い方がよいと考えますが、「議会費」そのものを削らざるを得ない場合は、まずは報酬からという
立場です)
国会議員の定数削減にも慎重な姿勢を
この考え方は、国政にも共通します。衆議院で比例代表を減らす議論が進めば、小さな政党や無所属の意見が国政に届きにくくなります。比例定数を減らせば、結果的に第一党がより有利になり、政治的バランスが崩れる危険があります。
たとえば茨城県議会でも、自民党が全体の約7割を占めています。これは、県民の7割が自民党支持という意味ではなく、小選挙区制の仕組み上、票が集中した結果です。比例枠を減らすことは、この傾向をさらに強めることになります。民主主義とは、多数決だけでなく、多様な声が届く構造そのものを守ることです。
「数」よりも「質」を問う改革を
私は、市議会も国会も、議員の数を減らすことが“改革”ではないと考えます。むしろ、「どうすれば市民の声を正確に政策へ反映できるか」「議員一人ひとりが何をしているかを、どう説明できるか」こそが本質です。
定数削減は一見スッキリとした改革に見えますが、その裏で失われるものは計り知れません。まずは報酬削減や制度の透明化を進めることで、議会の信頼を積み重ねるべきです。
議員の役割とは、市民の代弁者として、多様な意見を政策に反映すること。数を減らすより、質を高める改革こそが、真の「身を切る改革」だと、私は考えています。

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