本日、鹿嶋市戦没者追悼式に参列しました。
先の戦争で亡くなられた方々に、あらためて哀悼の誠を捧げるとともに、今日の平和な暮らしについて考える時間となりました。
戦争を実際に体験された方々が少なくなっていく中で、戦争の記憶を次の世代へどのように伝えていくのかは、これからますます大切になっていくと感じます。
戦争というと、沖縄や広島、長崎、あるいは東京大空襲などを思い浮かべる方が多いかもしれません。
しかし、現在の鹿嶋市域も戦争と深い関わりがありました。
第二次世界大戦中、現在の鹿嶋市南東部から神栖市にかけて、約500ヘクタールに及ぶ「海軍神之池航空基地」が建設されました。
昭和16年(1941年)には造成工事が始まり、地域から多くの人々が動員されました。
その後、昭和19年(1944年)には練習航空隊が正式に開隊し、多くの搭乗員が飛行訓練を行いました。
戦局が厳しくなるにつれ、神之池基地は特攻隊の訓練基地としての性格を強めていきます。
特攻兵器「桜花」の訓練も、この鹿嶋の地で行われていました。
昭和20年(1945年)2月16日から17日にかけて、関東地方の飛行場に米軍の艦載機が襲来しました。
鹿嶋市の資料によれば、神之池基地にも朝から夕方まで9回にわたり、延べ130機余りが飛来し、航空機や宿舎などが攻撃を受けました。
戦争は決して遠い地域だけで起きていたものではありません。
私たちが今暮らしている鹿嶋にも、戦争が日常生活のすぐそばにあった時代がありました。
その歴史を現在に伝えている場所の一つが、鹿嶋市光にある櫻花公園です。
ここには、空襲から航空機を守るためにつくられた「掩体壕(えんたいごう)」が現在も残されています。
かつて神之池基地周辺には有蓋・無蓋を合わせて数十基の掩体壕がつくられましたが、鹿嶋市によれば、現在残されている有蓋掩体壕は1基です。
掩体壕の内部には桜花一一型のレプリカが展示され、その傍らには元桜花隊員によって建立された石碑もあります。
現在では、戦争の記憶を伝え、犠牲となった方々を慰霊する場所となっています。
鹿嶋市内には、戦争で亡くなられた方々を慰霊する忠魂碑なども各地に残されています。
戦争を知る世代が少なくなるにつれて、私たちは戦争を「体験した人から聞く歴史」から、「記録や遺構を通して受け継ぐ歴史」へと移りつつあります。
だからこそ、追悼式を続けること、地域に残る戦争の記録や遺構を残していくことには、大きな意味があるのだと思います。
今日の戦没者追悼式に参列し、戦争で亡くなられた方々を悼むとともに、私たちが暮らす鹿嶋にも戦争の歴史が刻まれていることを、あらためて考えました。
今ある平和な日常は、決して当たり前のものではありません。
戦争の記憶を風化させることなく、地域の歴史として次の世代へ伝えていくこと。
そして、二度と戦争によって多くの命が失われることのないよう、平和の大切さを考え続けていくこと。
戦没者の皆様に心から哀悼の誠を捧げ、恒久平和への願いを新たにしました。
鹿嶋市「戦時下の鹿嶋-海軍神之池航空基地」
鹿嶋市「現地に残る戦争遺跡―掩体壕(えんたいごう)―」
鹿嶋市「パネル展『戦後80年 鹿嶋の戦争遺跡』」
鹿嶋市「鹿嶋市郷土かるたの部屋『国に尽くし 戦い終わって 忠魂碑』」

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